音声化された青空文庫

ここにはかつて、青空文庫のテキストを使って音声化された作品を扱うページを勝手にリンクしまくったものがありましたが、お片付けされました。

○青空文庫の朗読については、「青空文庫収録ファイルを用いた朗読配信をお考えのみなさまへ」というガイドラインがあります。そちらをご参照ください。

○非常事態宣言下における「#せいゆうろうどくかい」の活動は、毎日新聞の記事などをご一読ください。

○また古いものですが、aozorablogの「青空文庫/朗読・音声化入門ガイド」という記事では、音声化制作についての簡単なガイダンスがされています。

『あのときの王子くん』のページには、まだ音声作品リンク集が記録というかたちで残っています。


[補足]

(以下の文章は2002年のものです)

音訳と朗読の違い

音訳というのは、墨字の本の読めない視覚障害者が、本の内容を理解することが出来るように、できるだけ、恣意的な感情や解釈を排除しながら、本の内容を音声化して録音することを言います。

なぜ感情や解釈を排除しなければならないかというと、目の見える人が墨字の本を読むときには、 自分なりの解釈をしながら読みます。

しかし録音するときに音訳者が最初からこれを込めてしまうと、録音された本を聞くときに、自分なりの本の楽しみ方が奪われてしまうことになりかねないからです。

つまり、視覚障害者の目の代わりをするということです。

昔はこれを人の手によって行っていましたが、今は機械読み上げによるものも現れてきています。

朗読というのは、音訳とはそもそもの始まりが違っています。

音訳は視覚障害者のためにはじまりましたが、朗読はそうではなく、いかに本の内容を感情豊かに伝えるか、ということが重要となってきます。

つまり、声を出して本を読む、という行為そのものから始まっていると言えます。

美しく情感深く読むこと、それが中心なのです。

だから、何を読むか、を伝える音訳と、いかに読むか、を伝える朗読は、ちょっと違うようで、大きく違っているのです。

※墨字(すみじ) 目で認識できる筆記文字もしくは印刷文字のこと。点字と区別されるときに用いる。

音訳と朗読の混同

こうやってそもそもの始まりが違っていた音訳と朗読ですが、それぞれが、それぞれの分野で発展していきました。

しかし、この状況は最近、変わってきました。コンピュータの登場です。

コンピュータによって、誰もが気軽に朗読し、音訳することが出来るようになってきました。

視覚障害者のための音声化、ということも注目されてきました。

インターネット上で独自にボランティアを始める人も出てきました。

けれども、そのことが、それぞれの分野で育ってきた二つの音声化の方法、それらの境界を曖昧にしだしました。

音訳、という言葉は聞き慣れない言葉です。私も、こういったことにかかわるまで、聞いたこともありませんでした。

朗読という言葉しか知らないと、音声化すれば何でも朗読である、と思って、機械に朗読させる、という意味の拡張が起こります。

また、音訳という言葉を知った新しいボランティアは、視覚障害者のために音声化すれば何でも音訳である、と思って、感情をこめて音訳する、という意味の拡張が起こります。

(もちろん、視覚障害者のために音声化すること一般を、音訳ということには間違いないのですが……)

もともとばらばらに始まって、意味の定義も曖昧だった言葉だったため、容易に混同され始めました。

(実際、ボランティア団体などでも意味がごっちゃになっています。もともと近い意味の言葉だし、昔からかなりごっちゃだったといえばそうなのですが)

それって、ちょっと困るんじゃないかな、なんて思うときがあります。

やっぱり、普通に本を聞いて自分で楽しみたいときと、人のきれいな朗読を聞きて楽しみたいときと、ちょっと気分は違います。

だからできるだけ、何を読むか、の音訳と、いかに読むか、の朗読は区別しておきたいな、と思うのです。

音訳と朗読のグレーゾーン

この問題は、朗読に関して起こってきた問題です。

そもそも朗読というのは、人が感情を込めて読むことですが、その感情がうまく込められなかった場合、もしくは朗読と音訳の区別がついていない状態で読んだ場合、音訳と朗読の境界はどうなるのでしょう。

主にこれまで朗読はプロの声優や俳優の方が行ってきましたが、コンピュータの登場で一般のボランティアの方も、朗読をするようになってきました。

中には、これは音訳じゃないかと思えるような朗読もあるそうです。

ということで、素人の朗読とプロの朗読の認知力の違い、なんてことを研究している人もいるそうです。

けれども、個人的にはそう問題ではないと思います。

技術的なことなのですから、上手下手があって当然。

心を込めようとして読んだのなら、朗読は朗読です。

もうちょっと進んで

もうちょっと込み入ったことを。

そうやって朗読されたり、音訳されたものは、(昔は主にカセットテープでしたが)今まで図書館などに置かれてきました。

そのため、これらのことを、録音図書、あるいは録音文庫、ということもあります。

この録音図書がプロによる朗読によるもの、と定義する人もあります。(どうもこのあたりややこしいですが、実際には両方の意味で使ってる人が多いです)

この録音されたものとは逆に、視覚障害者の前で直接本を読むことを、対面朗読、といいます。

(個人的には、これも対面朗読対面音訳に区別しておきたいですね)

以上、長かったですが、これにて補足を終わります。

私もまだこういったことにかかわり始めて浅いので、認識違いがあるかと思いますが、そのときはよろしくご教授願います。

(Since 2002/10/28)