「青空文庫とデジタルアーカイヴの文化」

執筆者:大久保ゆう(October 29, 2008)

以下は、全国図書館大会で行った講演のレジュメです。そのときに使用したパワーポイントのファイルは、【こちら】にあります。また、その【PDF版】もあります。

第94回全国図書館大会兵庫大会
2008年9月19日
神戸学院大学ポートアイランドキャンパスにて

分科会名:第8分科会 著作権

テーマ:「青空文庫とデジタルアーカイヴの文化」


発表者:大久保ゆう(青空文庫/翻訳家)
区分:事例発表

0 はじめに

 発表者は長らく青空文庫に関わり、同時に多くのデジタルアーカイヴ(以下DA)を私的にもビジネスの面でも活用してきた。その経験から、青空文庫を含めたDAの周辺で、今何が問題となり何が起こりつつあるのかを例を挙げながら紹介し、今後の展望を考えたい。

1 青空文庫とDA

1.1 青空文庫について
 一九九七年設立。ボランティア運営による私設デジタルアーカイヴ。所蔵コンテンツは著作権失効の大正・昭和期の日本近代文学が最も多く、利用は原則無料で活用方法も限定しない。現在、その所蔵作品数は七〇〇〇を超える。

1.2 DAの区分
 青空文庫の相対位置をはかるために、今あるDAを試みに区分すると以下のようになる。
 ・公的機関による公的なもののDA
 (例:大型図書館の研究論文・貴重書DA、地方の文化財DA)
 ・市民・企業による公的なもののDA
 (例:青空文庫、Internet Archive)
 ・市民・企業による個人的なもののDA
 (例:ニコニコ動画、ベクター、ピアプロ、フォト蔵、個人ホームページ)

1.3 それぞれの問題点
 簡単には、以下のようにまとめられる。
 青空文庫においては作業の専門化による新規参加者の減少、マイナーな作品の発掘に作業限界が見えつつあるという点。
 研究論文や貴重書・文化財DAは、閲覧数の伸び悩みや、利用が専門家に限られ、市民による広い活用にまで至れていない点。
 個人的なもののDAは作品志向が強く、素材・資料的価値のあるものが蓄積されず、また地域性が欠如しやすい点。

2 今、DAに起こりつつあること

2.1 アーカイヴ・共有への欲望
 青空文庫の活動はボランティアの無償活動によって成り立ち、参加による本人へのメリットも特にない。自分の好きな本を他人と共有できるだけである。またニコニコ動画にアーカイヴされる著作権侵害動画などの共有は、アップロードした本人にメリットがないばかりか、罪に問われるおそれすらあるにもかかわらず、共有に向かう人が後を絶たない。若年層では、自分の創造した作品でさえ金銭よりも共有を優先するという人も大勢生まれつつある。人には自分がいいと思った何かを共有したいという本質的な欲求があるのだろうか? アーカイヴ欲・共有欲というものが存在するのだろうか? 「共有」は、作り手と送り手、受け手をストレートに接続する。

2.2 単純閲覧から創造のサイクルへ
 青空文庫やニコニコ動画では、今アーカイヴされたコンテンツの活用に変化が生まれはじめており、単純閲覧から、コンテンツを新たなる創造や二次創作に役立てる動きが活発になりつつある。とりわけニコニコ動画では、自身の創造→アーカイヴ→他人による新たな創造→アーカイヴ→さらなる創造、という創造のサイクルが有機的に起こっている。個人的なもののDAで顕著な現象で、そういった創造のサイクルに特化したピアプロというDAも生まれている。また青空文庫にもその動きが流入しつつあり、今後、その他のアーカイヴにも広がる可能性がある。またアマチュアだけでなく、ビジネスにもその動きが生まれつつある。

2.3 今、消えゆくもの
 青空文庫開設時には他にも同様の文学DAが個人サイトも含めていくつもあったが、十年のあいだに淘汰され、アーカイヴ資料とともに消えてしまったものも少なくない。結果、大きなDAとして成長できた青空文庫が残る程度だ。(そしてその消滅への懸念が、「青空文庫 全」を全国の図書館に寄贈した理由のひとつだ。)
 その他、パソコンに関連するDAも作品に近いものは当初から大きなDAに蓄積されていたように(ベクター等)、近年かつては個人で公開していたものも作品等はニコニコ動画等の大きなDAで蓄積されるようになった。
 しかし一方で素材・資料的なものは個人サイトの消滅とともに多くもものが消えてつついる。公的なものは残るが、人々の生き生きとした生の資料や素材そのものが、失われている。とりわけ画像はInternet Archiveでも不十分であるため、その損失が激しいのが現状だ。

3 今後のDAについて

3.1 日本で遅れているDA分野
 海外との比較を考えた場合、放送・映像に関するアーカイヴが出遅れている。ラジオ放送や映画については日本にも潤沢にパブリックドメインの作品が存在するはずだが、収蔵する企業や団体・個人が放出したがらない、デジタルアーカイヴしたがらないきらいがある。音楽については、個人による作品のDAはある一方で、公的なもののDAについては、個人では多く存在するがまだ大きなものが現れていないという現状がある。昨年発足した「歴史的音盤アーカイブ推進協議会」の成果が、どこまで作品を公開し、利用を自由とするのか、注目される。

3.2 今後、必要とされるはずのDA
 ここまでの考察を鑑みた場合、素材や資料として価値のある個人的なものを(あるいは全国的には有名ではないが地元では大切な芸術作品を)公的機関や市民団体・企業という安定した基盤の元、市民がアーカイヴするという可能性が見えてくる。沖縄デジタルアーカイブやデジタル岡山大百科といったものもあるが、どちらもアーカイヴそのものは純粋に市民の手によるものではない。想像するのは、全国各地に小さな地域型の青空文庫が存在するような形だ。これまで個人による試みもあったが、それが続かないのであれば、そこにこそ中小規模あるいは地方の公的機関・団体・企業の参与する意味・価値がある。また同時に、地元の写真や文化・芸術作品を市民の主導でアーカイヴすることは、三種のDAが持つ欠点・問題点をうまく補うことのできるものになるはずだ。(cf.市民メディアサミット06「地域デジタルアーカイブの構築と活用の可能性」。また「夢ネット・栄」や、長野大学「おらほねっと」および長野県「デジタルアーカイブ推進事業」、せんだいメディアテーク「せんだい電子文庫」などにおけるアーカイヴの先駆的取り組み等)
 もちろんそのためにはコスト面や著作権処理の問題が残るが、それには今までのDAが得てきた経験がきっと役に立つはずであり、そのための情報や成果を既存のDAは積極的に公開する必要がある。(少なくともフリーのアーカイヴデータベースが開発される必要があるだろう。)

3.3 人とDAの豊かな関係と未来
 現在の三種のDAだけでは、それぞれお互いに有機的につながれるかどうか心許ない。ニコニコ動画と青空文庫がいい関係になれたとしても、その層がそのまま公的機関の公的なもののアーカイヴをもその関係に取り込めるだろうか。もし公的機関が個人的なものを何らかの目的や理由でアーカイヴできれば、公的DAへの敷居が下がり、もっと豊かなDAの活用へ道が開けるのではなかろうか。

4 デジタルアーカイヴの文化

 DAの文化とは、デジタルの特性を生かして、自分たちの文化を積極的に共有して、さらに豊かにしていこうとする文化のことである。もし著作権が自然権でないとするなら、ある意味こういう原始的な文化共有のあり方こそ、人間にとって自然なのかもしれない。
 それゆえに、今後デジタルアーカイヴを進める上で必要なのは、所有している文化財を、見せるだけの「公開」ではなく、みんなのものとして「共有」していく、という意識である。