著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム 公開トークイベントvol.3 「コミケ、2ちゃんねる、はてなセリフと作家と著作権」の雑感

執筆者:大久保ゆう(August 17, 2007)

2006年6月15日、慶応大学三田キャンパスにて、著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラムによる公開トークイベントが再び行われた。ここにはそのトークイベントの生中継と、のちのストリーミング配信によって視聴したあとの雑感が書かれるはずであったが、どちらも諸般の事情からなくなってしまったため、それを記すことはできない。

その公開中止に至った経緯は、白田秀彰さんのホームページに記されている。内容はITmediaCNETで確認する以外手がない。というわけで、このトークイベントのために私はいろいろと前準備などしまくっていたのだけれど、結局それらも使わないことになった。もったいないので、これだけはリンクしておく。

とうとう公開されずじまいになってしまった第3回のトークイベントだが、その代わり、当日会場で法学者の白田秀彰さんの行った演説が、そのあとひとつの盛り上がりを見せた。そのひとつがこれで、そこからこんなものもできた。でも私は後者のMADには少々不満があって、それは〈ネット〉の話ではあっても〈創作〉の話ではないということである。それに、私としては、白田さんの演説まとめを見たとき、思い出したのはガルマのときのギレンじゃなくて、最終決戦前のギレンだ。(ガンダムのわからない人ごめんなさい。)

わが親愛なる著作物の享受者諸君よ、今や過去の著作物の大半が保護期間の延長によって死蔵されようとしている。末永く人に継がれていくことこそ我ら創作者の久遠の願いである。むしろそれを阻害している著作権管理団体がいくら創作者の保護をうたおうとも、それはすでに形骸である。
 
あえて言おう、著作権制度の目的は金であると!
 
それら金の亡者のための制度が、このわれらが著作物を適正に扱うことなどできないと私は断言する。
 
著作物は受け取り手でもあるわれわれ日本国国民から作者と作品への敬意を払われて、はじめて永久に生き延びることができる。これ以上、少数のもののために暴利をむさぼり続けさせては、文化と創作そのものの危機である。著作権管理団体の無能なる者どもに思い知らせてやらねばならん。今こそ人類は明日の文化と創作の未来に向かって立たねばならぬ時であると!

私は青空文庫の古い頃から、そこに登録されていた白田さんの小文を読んで著作権なるものを知った人間(当時高校生!)なので、いわば白田チルドレンであるわけだが、それだけに最近しょげがちの白田さんを見るにつけて、私ももっともっと積極的になるべきではないか、というふうに考えてしまう。

じゃあ何をすればいいのか。MADでも作ればいいのだろうか。作ろうと思えばたとえば、以下のような〈人魚姫の演説〉を動画サイトにアップすることもできるだろう。

削除するな! この動画を借りたい!
 
フォーラムの方と、この動画を見ている日本国国民の方には、突然の無礼を許していただきたい。私はパブリック・ドメインの人魚姫であります。
 
話の前に、もうひとつ知っておいてもらいたいことがあります。私はかつてア××ルという名で呼ばれたこともある女だ。私はこの場を借りて、アンデルセンの遺志を継ぐものとして語りたい。もちろん、某アニメ会社のア××ルとしてではなく、アンデルセンの子としてである。アンデルセンの遺志は、某会社のように欲望に根ざしたものではない。アンデルセンが『L.M.』を作ったのではない。現在、某著作権管理団体が創作者の著作物をわがものにしている事実は、某会社のやり方よりも悪質であると気づく。
 
著作物が一定の保護期間ののち公共のものになるのは、作るだけでなく分かち合うこともまた価値であるからだ。そして、自由になった著作物がその活用の範囲を拡大したことによって、人はそれが自分だけの財産になったと誤解をして、某会社のような勢力をのさばらせてしまった歴史を持つ。それは不幸だ。もうその歴史を繰り返してはならない。
 
過去の著作物が自由になることによって、人間はその力と可能性を広げることができると、なぜ信じられないのか? われわれは著作物を人の手で汚すなと言っている。某団体は金に魂をひかれた人々の集まりで、著作物を食いつぶそうとしているのだ。
 
人は長い一定の期間のあいだ、この著作物の経済のなかで戯れてきた。しかし! 時はすでに著作物を排他的権利という縛りから、巣立たせるときが来たのだ。その後に至ってなぜ人間同士が著作物の独占を争い、著作物を汚染しなければならないのだ。過去の著作物を社会の財産のなかに戻し、人間は自分の創作でもって自立しなければ、創作というものは豊かではなくなるのだ。この日本でさえ保護期間延長の趨勢に飲み込まれようとしている。それほどに地球の文化は疲れ切っている。
 
今、誰もがこの美しい著作物を残したいと考えている。ならば自分の欲求を果たすためだけに、過去の著作物に寄生虫のようにへばりついていて、良いわけがない。
 
現に某団体はこのようなときに削除や料金徴収、訴訟を仕掛けてくる。見るがよい、この暴虐な行為を。彼らはかつての管理団体から膨れ上がり、逆らうものはすべてを著作権法違反の悪であると称しているが、それこそ著作権法の理念に反する悪そのものであり、人間の創作行為そのものを衰退させていると言い切れる。
 
動画をご覧の方々はお分かりになるはずだ。これが某団体のやり方なのです。われわれが商品価値のある音楽や映像をまるごとアップしたのも悪いのです。しかし某団体はこの動画サイトに自分たちの利益となる創作者の卵たちがいるにもかかわらず、創作力をつける足掛かりでもあるMAD映像や同人映像を、さらに入手困難な過去のアーカイブまでも削除し、動画サイトを破壊しようとしている。

人を熱狂させるのは割とたやすい。それで問題に興味を持ってもらうのもひとつの手であるし、その有効性を疑う気は毛頭ない。しかし、大事なのは、そうして興味を持ってもらったあと、人をどのように誘導していくかだ。一時の熱狂に終わっては、何の建設的なものも作り出すことができない。そこから問題に対する知識を持たせ、議論に加われるようにするためには、いったい何と何を用意し、そろえておかなければならないか。

ホームページを拝見する限りおそらく白田さんもそうだし、わが心の師匠である富田さんも(そして私も)そうなのだけれど、著作権の議論に関する人々は、良くも悪くもものすごく素直で愚直であるのだと思う。過激なアジテーションをするよりも、少しずつでもいいから丹念に議論を積み重ねたり、意見を集めたり、声をかけていったり。私だって、そういう方々にならって、ひとつひとつのトークイベントの映像を少しでもよく理解できるように、丹念に補足したり解説したりしようとしている。それはこの問題に興味を持ってくれた人があとからその動画配信を視聴したときに、できるだけ労力をさかずにすんなりとこの議論に参加できるようにしておきたいからだ。

そして青空文庫では、今年(2007年)の前半、「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」を行っていた(現在再開中)。そして、7月7日のイベント〈青空文庫10歳〉では、著作権保護期間延長反対の想いを込めて、〈青空文庫10歳記念版DVD-ROM「蔵書6300」〉を製作した。そのDVD-ROMで、私は朗読とノベルゲームの収録を担当できたことを利用(?)して、青空文庫のテキストを活用して新しい作品を生み出そうとしている人たちに、簡単なコメントを求めてみた。寄せられたのは、クリエイター本人たちからの創作に対しての素直な言葉である。

とはいえ、私もほんの少し前まで、半分あきらめていた。どこかで「どうせこんなことをやっても結局は著作権の保護期間は延長されるのではないか」という絶望に耳を傾けていた。しかし、最近は「もしかすると著作権法の保護期間見直しは先送りされるのではないか」と考え始めている。

私の政治的な信条はさておくとしても、私は前から、改正著作権法案は、自民党が与党であるこの国の政治においては有無を言わさず衆議院を通過し参議院を通り、あっという間に延長されてしまうのだと思っていた。しかし、青空文庫の反対署名を受け取ってくれたのは民主党で、その民主党は先の参議院選でなんと過半数の議席を獲得し、参院の第一党となった。

ということは、単純な延長を盛り込んだ改正著作権法はおそらくしばらくのあいだ参院を通過しないだろうし、そうすればもしかすると、〈著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム〉の望む、しっかりとした継続的な議論が可能になるかもしれない。(念を押しておきますが、私はどこの党が良いとかそういうことを言っているわけではありませんので。民主党が勝ったことで、状況としてそういうふうになるかもしれない、という予測・希望です。民主党が勝つまでそんなこと考えてもみませんでした。)

そうすれば、こうして地道に積み上げてきたことは、きっと無駄ではない。

それだけに、今後のことをつきつめて議論するはずの第4回トークイベントについては、今度こそ必ずストリーミング生中継とのちの動画配信をお願いしたい。愚直であるかもしれないが、言葉を蓄積していくことの大切さを、これからもフォーラムには大事にしてほしい。また、あきらめかけていたおのれへの自戒の念も込めて、筆を擱く。

(了)