著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム 公開トークイベントvol.1 「なぜ、いま期間延長なのか――作品が広まるしくみを問う」の雑感(1)

執筆者:大久保ゆう(March 14, 2007)

2006年3月12日、慶応大学三田キャンパスにて、著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラムによる公開トークイベントの第一弾が行われた。これはそのトークイベントの生中継と、のちのストリーミング配信によって視聴したあとの雑感である。

今回のトークイベントでは、音楽ジャーナリストの津田大介さんがコーディネータとなり、ノンフィクション作家の佐野眞一さん、写真家の瀬尾太一さん、情報メディア法を研究されている林紘一郎さん、そして作家の三田誠広さんの四人も参加した。

前回のパネルディスカッションをふまえ、今回のテーマは「なぜ、いま期間延長なのか」ということで始められたが、集められた人々の議論の中心は、むしろ「いかなるシステムを、あるいは制度を構築していくか」にあった。

参加されたそれぞれの方の意見を見てみると、そのような方向性を持って述べられていることがよくわかる。

そしてまた、質疑応答を含め、ここで発言者の間で食い違うのは、コーディネータの津田さん自身が意識するように、「著作人格権」と「著作財産権」の意識内での未分化、混同のためである。それは著作権法なるものへの認識の甘さ、あるいは無知に立脚して議論を進めることの弊害かもしれない。

ここでは、そのような観点を踏まえながら、まずそれぞれの方の発言のポイントを個別に見ていくことにする。


◇佐野眞一さんの意見より

佐野さんは、著作権保護期間延長には反対の姿勢を取っている。そこでエピソードして語られたのは、前回のシンポジウムの質疑応答のときに現れた、「子どもがいる人は保護期間を延長したいと思い、子どものいない人は保護期間延長に反対である」という、何の根拠もない俗論を週刊誌記者の方が佐野さんに問いかけてきたというものだ。

「佐野さん、お子さんはいらっしゃいますか」
「うん、いるけども」
「では、お子さんに、佐野さんの著作権を継承したいと……」

佐野さんは、そんなことはただの一度も考えたことがないという。それは、著作権保護期間が延長されたら創作者の創作意欲が増すという議論に対しての、創作者側からの反論だ。

「自分の死後(の著作権保護期間が)50年から70年になったからといって、創作意欲が高まるという議論がもしまかり通るならば、これはずいぶん、人を馬鹿にしたというか、創作者を馬鹿にした議論だというのが、まず僕の基本的な考えです。」

これがなぜ創作者を馬鹿にした議論なのか。これは佐野さん自身は明らかにしていないが、その構造を同じ出演者である林紘一郎さんが、わかりやすく述べている。

「インセンティブ(の話)だけからいけば、まずそもそも、すでに制作された著作物について、その権利保護期間を延ばしたからといって、制作の時点に遡ってインセンティブが働くというのは、まったくうそっぱちである(笑)、ということにつきると思います。」

今50年から70年に延長して、直接的にその影響があるのは、すでに制作された著作物であり、これから制作される著作物ではない。であるから、もしインセンティブの話をするならば、著作者の死後のことではなく、まず生きている間の著作権のあり方について議論するのが、しごくまっとうな話である。それにもかかわらず、そのことを脇に置いて「50年を70年にしたらよい」と発言するのは、それこそ今を生きるクリエイターたちを無視し、馬鹿にする態度に他ならない。

そして佐野さんがさらに主張するのは、日本の著作権法に〈入会権〉の考え方を導入することだ。インターネット上の著作のあり方に通じている方なら、〈パブリックドメイン〉といったほうがわかりいいだろうか。

現行の著作権法では、著作権の保護期間を過ぎれば、確かにその著作物は公共のものとなり、誰でも自由に使えるようになれる。しかし、たとえば現在生きているクリエイターがいて、ある著作物を制作し、その上で「私の作ったこの著作物は公共物(パブリックドメイン)にします」として、自分の持っている著作権を放棄することは、厳密には不可能である。

例として、クリエイティブコモンズを見てみよう。ここでは、クリエイター自身が自分の著作物の著作権をどう設定するか、簡単に選択することができる。名前さえ表示させれば自由に使ってよい、商業利用は困る、二次創作の可不可、などなど、いくつかの項目を選んで、自分の著作物に貼り付けるライセンスを自分で決定するのだ。

このアメリカ版ライセンスでは、その選択肢の中にパブリックドメインにする、つまり自分の著作物を進んで公共物にする、というものがある。しかし、今の著作権法には、著作権を放棄するための明文規定がない。たとえクリエイティブコモンズで、私のものはパブリックドメインであると宣言しても、それは法的に自由になったというわけではなく、それは自由使用を許可する意思表示でしかない。依然として、日本の著作権法により、自動的にその著作権は保護され続けたままだ。

もし著作者が、自分の著作物を自由にできるのが原則であれば、あるいは著作物の公共的な側面を見つめるというのが著作権法の存在意義だとするなら、その著作権放棄――公共の入会地へ自分の著作物を進んで差し出すこと――を法的な枠組みの中で認めてしかるべきではないか。


◇瀬尾太一さんの意見より

瀬尾さんは、著作権保護期間の問題については70年延長派だが、それよりも大事なのは、彼は保護期間云々よりも、まず何よりも〈クリエイターの今〉〈著作権の今〉について考えるべきだという考えの持ち主だということである。

「今の時代、デジタルの時代において、われわれは著作物の流通をもう一回みんな使う方も作る方も、考え直さなきゃいけない時代に来ている。その議論が、70年だとか50年だとか、数字に象徴される、非常に象徴的な(漠然とした)問題にすり替えられている。[中略]いろんな論があって、この後の話はどんどん尽くしていくべきだと思いますけれども、時代の話と、流通の話と、また国家戦略の話、それからお金の話、すべてがごちゃごちゃになって、50年70年という問題に象徴されて、論議されるとしたら、私は少し悲しい。」

確かに、50年か70年かという話題はとてもわかりやすいし、延長派と慎重派の対立構造は、著作物に対する公共派と個人派の対立にも見え、喧々囂々とやり合う姿は格闘技的な興味も惹くだろう。だが、ただそうなっていっては、何も建設的な議論ははじまらない。それはこの瀬尾さんの前に、佐野さんがこの著作権議論のヒートアップを懸念していたのと、同じものである。

瀬尾さんは、一通り自分が70年に延長するという主張の根拠を述べてから、このように続けている。

「ただですね、だからといって、今まで権利者の権利を守る、それだけのためにじゃだめなんですね。それで、私が特に持論として思っているのは、権利者も、自分でどのよう使ってほしいか、これはこれくらいゆるやかに使ってもいいんだよとか、これは絶対使うときには一回ずつギャラが欲しいよとか、今まで創作者っていうのは、使い方の細かなところまで指示しなかったんです。つまり著作権法に任せっぱなし、とかこれはちゃんと保護されてるとか。そうじゃなくて、今後の時代においては、作った方も、自分の作品をこう使ってほしいとか、そういう言葉で指示する時代に入ってきた、それがデジタルの時代なのかな、というふうに思っています。」

これは、クリエイティブコモンズや、あるいは林さんの提唱したDマークをはじめとする、著作者自身が著作物を自分でコントロールするという枠組みの思想と共通している。だが、この会場でもあとで触れられるように、クリエイティブコモンズというのは、簡単である反面、抜け穴だらけであるし、そもそもその作品が自分であるという証明も、自己責任に任されている。

この作品の帰属証明の難しさは、そもそも〈著者〉と〈著作物〉の関係が自明のものではないという点にある。複数の人間が生きる物理的な世界においては、私が書いたからこれは私のものだ、という論理は、簡単には通じない。批評家のモーリス・ブランショは、その書『文学空間』において、作品と作者の関係を、次のように述べている。

「作品を書いている者は、隔離されており、書いてしまった者は、解雇されている。[中略]作品――芸術作品、文学作品――は完結してもおらず、未完結でもない。作品は存在している。作品が語るのも、もっぱらそのこと、つまり、それが存在しているということであり、――それ以上の何ごとでもない。」(ブランショ『文学空間』現代思潮社、1976、p10-11)

物質としてみるならば、たとえば本はそのに紙の束として存在しているだけである。そこに文字がびっしりと詰め込まれた紙の束。それは、さめた目でみれば、そこに存在しているただのモノに過ぎない。だが、それをわれわれが誰かの作品だと認識することができるのは、その芸術作品に人間の名前が付され、その名前がそのモノを作った人物の名前であるという〈制度〉をわれわれが受け入れているからに他ならない。

もちろん作品を作った本人は、その作品を作ったという記憶と経験があるから、その作品が自分に帰属しているという感覚を強く感じて当然である。しかし、その作品を書き上げたあと、作者の手から離れ、それが複製され、様々な人にわたるとしても、その人々はその制作の現場を見てはいない。実際に確かめたというわけではないのだ。なのに、われわれがある作品が誰かの制作物であると認識する。それは作品に付される名前としての〈著者〉という制度をじゅうぶんに信頼し、受け入れているということなのである。さらに言えば、その著者というラベルを発行する出版社や、それを販売する書店というものの権威(あるいは無謬性)を認めているということでもある。

しかしその名前から、いつも著作者本人までたどり着けるかどうかといえば、必ずしもそうではない。日本文芸家協会ですら、過去書籍を出版した79万人のうちの3000人しか把握していない。これは単なるラベル貼りであり、それ以上のことを行わない〈著者〉という制度の脆弱さを物語る一例でもある。この脆弱な制度では、これからのデジタルの時代、過去・現在・未来における著作物の運用を行っていくのは、たいへん不安定であり、それゆえに、新しい著作権運用システムが必要とされ、この場でも語られることとなったのではないか。

〈著者〉という制度は、著作者が自己の著作物をいかに扱ってほしいか、その問題をクリアするには、あまりにも古すぎ、あまりにも弱すぎる。この70年延長問題において各所から噴出された様々な異論や不満は、単にお金や国家戦略の問題とあるというよりは、デジタル社会でつもりにつもったこの旧制度の欠点が、この延長問題というひとつのきっかけを得ることによって、ついに爆発したのではあるまいか。なればこそ、これをきっかけに、まず〈著者〉という制度、〈著作権〉そのものの枠組みを考え直さなければならない。


(2)につづく