いちばんのおくりもの

THE GREATEST GIFT

フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターン Philip Van Doren Stern

大久保ゆう訳




 小さな町が丘に沿って広がり、クリスマスであちらこちらに明かりを灯す。だがその様子は、ジョージ・プラットの目に入らない。鉄橋の欄干に寄りかかり、ジョージは黒々とした水面を暗い顔で見つめている。流れは水ガラスのように渦を巻き、ちらほらと氷が岸を離れて漂い、下流の方に運ばれては橋の陰に飲み込まれていく。
 水は冷たく、もはや触れても痛みすら感じない。ジョージは思う――この中で人は何分生きられるだろう。透き通るような黒さが、なぜかジョージの心を捉えて放さない。欄干の向こうへ、体重をさらに預けていく……
「僕なら、そんなことはしませんよ。」かたわらから、静かな声が聞こえる。
 ジョージが苛立たしげに振り返ると、そこには見知らぬ小男がいた。恰幅のいい中年過ぎの男で、冬の寒さのため、剃りたてと見間違えるくらいに頬が赤い。
「そんなことって?」と、ジョージがつっかかる。
「今、君がしようとしていたことですよ。」
「そんなことが何でわかるんだ。」
「まあ、僕らは仕事柄、いろんなことがわかるんです。」と、小男は気楽に言う。
 どんな仕事だよ、とジョージは思った。相手はどこにでもいるような人間で、おそらく町で会ってもそのまま通り過ぎてしまうだろう。ただその青い目と視線があったら話は別だ。優しさと鋭さを兼ね揃えたその目は、一度見たら忘れない。だが、特徴という特徴はそれくらいだ。男は使い古した毛皮の帽子をかぶり、同じく古くよれよれのコートは、太鼓腹でぴちぴちになっている。肩には黒い小型の鞄。医者の鞄ではない――それなら往診には大きいし、形もおかしい。こいつは営業で、中には見本が入っているのか、とジョージはいぶかしげに目をやった。ひょっとすると、こいつは物を売り歩きながら、他人のことに鼻を突っ込むおせっかいなやつなのかも。
「雪のようで。」と男は曇り空の様子をうかがう。「ホワイト・クリスマスも風情がありますね。最近は少なくなりました……これに限らず。」そしてジョージの顔を真っ正面から見据える。「大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってる。どうしてそんなことを聞く? 俺は――」
 と言いかけて、詰まる。相手がにらんでいる。
 小男は首を振る。「そんなことは考えるもんじゃありません――今日はクリスマス・イヴですよ! メアリさんのこととか――お母さんのこととか考えましょうよ。」
 ジョージは口を開いて、なぜ自分の妻の名を知ってるのか、と聞こうとしたが、男はそれより先にこう言った。「聞かないでください。そういう仕事なんです。だから今夜、こうしてやってきました。間に合ってよかった。」と、男は黒々とした水面に目をやって、身を震わせる。
 ジョージは言う。「じゃあ、事情を知ってるなら教えてくれ。俺がこの世に残らなきゃならん理由って何なんだ。」
 すると小男は、うふふふと笑う。「だって、何がダメなんですか。君は銀行員で職もある。妻も子もいる。健康で若くて、それから――」
「もううんざりなんだよ!」ジョージが叫ぶ。「一生こんな田舎町から出られず、来る日も来る日も退屈な仕事を続ける。みんなは波瀾万丈の人生で、俺だけ――ああ、俺だけこんな小さな町の銀行員ふぜいで、兵士にもなれない。俺なんか、何の役にも立たなくて、何の意味もなくて、やりたいことも何もできない。いっそ死んだ方がいい。死んだ方がマシだ。時々そう思う。でもそもそも、生まれてこなけりゃ良かったんだ!」
 小男は、真っ暗闇の中で、ジョージを見つめたまま動かない。「今、何て言いました?」と、優しい声で聞く。
「生まれてこなけりゃ良かった、と言ったんだ!」とジョージは強く繰り返す。「嘘じゃない。」
 男は興奮して、赤い頬をふくらませる。「そりゃ名案だ! 一件落着ですよ。面倒なことになるんじゃないかと思ってたんですが、もうそれで答えが出てるじゃないですか。生まれてこなけりゃ良かった。そうですよ! それです! そうしましょう!」
「何のことだよ。」とジョージは声を張り上げる。
「君は生まれなかった。これです。君は生まれなかった。誰も君を知らない。しがらみも――仕事も――妻も――子どもも――みんななし。そうだ、母親もないことになる。もちろん、何もできなかった。厄介ごととはみんな、おさらばです。君の願いは、おめでとう、叶いましたよ――正式に。」
「バカバカしい!」ジョージは鼻を鳴らし、その場を立ち去った。
 すると男が追いかけてきて、ジョージの腕を取る。
「これを持ってかないと。」男は肩から提げた鞄を差し出す。「これがあれば、予想外に目の前でドアが閉ざされても、割と開けられます。」
「そんなことあるもんか。」ジョージは納得のいかない顔をする。「この町の人間はみんな知り合いだ。それに、誰かが俺の目の前でドアを閉じるなんて、想像するだけで嫌だ。」
「そうでしょうけど。」小男は食い下がる。「とにかく持っていくんです。マイナスにゃなりません。もしかするとプラスかも。」男は鞄を開けて、たくさんのブラシを見せる。「びっくりですよ、このブラシがどんなに重宝するか、ご紹介を――たとえば、これ。これなんかどうですか。」男は、ごく普通のヘアブラシを引っ張り出す。「こういうふうに使うんです。」と、嫌がるジョージの手に鞄を無理矢理持たせて、始める。「その家の奥さんがドアのところまで来たら、このブラシを持たせて、すかさず言うんです。『こんばんは、奥さん。ワールド・クリーニング・カンパニーの者ですが、今回、この便利で重宝するブラシを無料で差し上げます――何も買っていただかなくて結構なんですよ。』そのあと、普通においとまする。さあ、やってみて。」男はジョージの手にブラシを握らせる。
 ジョージはブラシを鞄の中に落とすと、留め金をあれこれいじった挙げ句、いらいらしつつもようやくバチンと閉めることができた。そして「おい。」と言いかけてやめる。なぜなら、もうそこに誰もいなかったからだ。
 あいつはきっと川岸に群生する木立の陰にでも隠れたのだろう、とジョージは思った。俺はかくれんぼなんかするつもりはない。あたりはほとんど何も見えないし、刻一刻と寒さもその厳しさを増す。と、ジョージはふるえてコートの襟を立てる。
 通りに街灯がまだ赤々とついていて、窓辺にはクリスマスの蝋燭がやわらかに揺らめいている。小さな町とはいえ、雰囲気もひときわ明るい。結局、自分の生まれ育った町が、この世でいちばん気の休まる場所なのだろう。偏屈じじいのハンク・ビドルでさえ、ふといとおしく思え、その家のそばを通り過ぎる。そういえば、このじいさんのカエデの大木に車をこすってしまい、口論になったこともあったっけ。ジョージは大きく広がった葉のない枝を見上げた。木は闇に向かってそびえ立つ。先住民のいた時代からここにあったに違いない。それに傷を付けるなんて、俺も悪いことをした、とジョージはふと感じた。いつもなら傷を探すために立ち止まるなんてことはない。木を見ていることをハンクに気づかれたくないからだ。でもこのときは、えいやっと車道に出て、その大きな幹を調べることにした。
 ハンクは傷を治したのだろうか、埋めたのだろうか、痕がどこにもなかった。ジョージはマッチを擦って、もっと近くで見ようと屈んでみた。やがてどこか憂鬱な気持ちになって立ち上がる。こすり傷がどこにもない。樹皮もなめらかで、どこも痛んでいなかった。
 ジョージは、あの小男が橋の上で言ったことを思い出した。そんなバカな、あるわけない。けれども、傷がないのが気にかかる。
 銀行にたどり着いたとき、何かがおかしいことに気がついた。建物には明かりがない。金庫室の明かりはつけたままのはずだ。そうか、誰かが窓のブラインドを下ろしたままにしているのか。ジョージは入り口へ駆けていった。すると、入り口のドアに、古くて痛んだ掲示板が留められてあった。ジョージが何とか文字を読み取ると――

貸店舗・売店舗
連絡先 ジェームズ・シルヴァ不動産

 ひょっとして、これはガキのいたずらか、と早合点しかけた。しかし見ると、いつもきれいなはずの銀行の入り口に、大量の枯葉とぼろぼろの新聞紙が山と積まれている。窓も見たところ、何年も拭かれていないようだった。通りの向こうにあるジェームズ・シルヴァの事務所に明かりがまだ点っている。ジョージは駆け寄って、ドアを開け放つ。
 ジムはびっくりして台帳から顔を上げる。「いらっしゃいませ、お客様。」新規の顧客に対するような、丁重な声だった。
「銀行は……」とジョージは息を切らしつつも言う。「いったい何があったんだ?」
「あの建物ですか?」ジム・シルヴァは首を動かして、窓の外を見る。「何も変わったところはありませんが。ああ、賃貸か購入でしょうか?」
「つまり――あそこはやめたのか?」
「もう十年も前にね。倒産ですよ。お客さん、このへんの人じゃありませんね?」
 ジョージはよろめいて、壁にもたれかかる。「ちょっと前まで、そこにいたのに。」声に力が入らない。「そのときには銀行も問題なかった。まだ中では人が普通に働いていたのに。」
「ご存じないんですか、マーティ・ジェンキンスって野郎を。」
「マーティ・ジェンキンス! そんな、彼が――」ジョージは言葉を言いかけてやめた。マーティは銀行で働いていない――正しくは、働いているはずがない。卒業したとき、ふたりは銀行に申し込んで、結果ジョージが就職したのだ。だが今は、そうだ、何かが違っている。ここは様子を見よう。「そう、知らないんですよ。」ゆっくりとしゃべる。「いや違うな、聞いたことがあるかも。」
「それならたぶん、五万ドル持って夜逃げしたって話でしょう。それで銀行は倒産。このへんのやつも、ほとんどみんな破産です。」シルヴァの向ける目が急に厳しくなる。「少しでも何か知りませんか、あいつがどこにいるのか。その倒産で私も大損をしました。みんなマーティ・ジェンキンスをとっつかまえたいんですよ。」
「弟がいませんでした? 確か、名前はアーサーとか言わなかったっけ。」
「アートですか? いますよ。でも無実ですし、行き先も知らないって。あれで彼もずいぶん変わったみたいで。酒におぼれてね。ひどいもんです――奥さんにつらく当たる。いい娘さんなのに。」
 ジョージは、またあの憂鬱な気持ちを感じた。「どなたとご結婚を?」訊ねる声もうわずる。ジョージとアートは、同じメアリを取り合ったのだ。
「その娘かい? メアリ・サッチャーですよ。」とシルヴァはにこやかに言う。「教会の手前の丘に住んでて――おい! どこへ行くんだ?」
 けれどもジョージは事務所を飛び出す。無人の元銀行の前を走りすぎ、丘を登っていく。とにかく今はメアリの元へ急ごう。教会の隣の家は、結婚のお祝いとしてメアリの父が買ってくれたものだ。もしアートがメアリと結婚したなら、彼がもらっているはずだ。ジョージは、ふたりにも子どもがいるのか、と考えた。だとしたら、俺はメアリの顔を見られない――だけど、まだわからない。まずは自分の両親に会うことにして、メアリの情報をもっと引き出そう。
 大通りから横に入ったところに、風雨にさらされた小さな家がある。窓から蝋燭が点っているのがわかるし、クリスマスのリースも玄関ドアのガラス部分にぶら下がっている。ジョージは門の掛け金を挙げる。ガチャリと大きな音。玄関の方から黒い影が飛び上がり、うなり声をあげ始める。そして荒々しく吠えながら段を駆け下りてくる。
「ブラウニー!」ジョージは声をあげる。「ブラウニー、バカ野郎、止まれ! 俺がわからないのか?」それでも犬は威嚇するように近づいたので、ジョージは門のところまで後ずさる。そのとき玄関に明かりが点り、ジョージの父が出てきて犬を呼び戻した。鳴き声も小さくなり、ただ低く警戒するようにうなるだけだ。
 父は犬の首輪をつかみ、かたやジョージは用心しながら横を通る。ジョージには、父が自分のことがわからないんだと、すぐわかった。
「奥さんはご在宅ですか?」とジョージは聞く。
 父はドアの方へ手招きする。「まあ入れ。」やさしい声だった。「この犬はつないでおく。人見知りするんだ。」
 母は玄関口のところで待っていた。明らかに誰かわからないという顔をしている。ジョージは例の試供品一式を開いて、さっき手にした第一のブラシを取り出す。「こんばんは、奥さん。」と丁寧に言った。「ワールド・クリーニング・カンパニーの者です。今、試供品のブラシを配ってるんです。きっと気に入りますよ。だからとって別に買う必要はまったくなく……」と、ジョージは口ごもる。
 母は、ジョージがあまりにぎこちないので、ほほえんだ。「売り込んでもよろしいのよ。買うかどうかは、わかりませんけど。」
「いえいえ。お代はいらないんです。」とジョージは言い張る。「正式な販売員は、何日かあとにやってきます。これはほんの――その、クリスマス・プレゼントなんです、我が社からの。」
「素敵ね。」と母が言う。「売り子さんから、今までこんないいブラシをいただいたことなくてよ。」
「特別に、ということで。」とジョージ。父親は玄関の中に入り、ドアを閉める。
「ちょっと中でゆっくりしていかれませんか?」と母。「歩きづめでお疲れでしょう。」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて。」ジョージはこぢんまりとした客間に通され、カバンを床に置く。部屋にいささかの違和感があったが、その理由はよくわからなかった。
「かつては、この町にも馴染みがありまして。」ジョージは会話を切り出す。「知り合いも幾人かおりました。そういえば、メアリ・サッチャーというお嬢さんがいましたね。アート・ジェンキンスとご結婚なされたそうで。ご存じですよね。」
「もちろん。」と母が答える。「メアリのことは、よく知ってますよ。」
「お子さんは?」とジョージは何気なく聞く。
「ふたりね――男の子と女の子。」
 ジョージはわざとらしく息を吐く。
「まあ、本当にお疲れ様。」と母。「よろしかったら、お茶でも入れましょうか?」
「いえ、お構いなく。」とジョージ。「このあと軽い夕食でも取るつもりなので。」そこで客間を見回し、違和感の原因をつきとめようとしてみた。炉棚の上には、枠付きの写真が壁につられている。弟のハリーの十六歳の誕生日のときの写真だ。ふたりでポッター写真館へ行って、一緒に撮ってもらったのを覚えている。でも、その写真の何かが妙だ。そうだ、ひとりしか映っていない――ハリーだけだ。
「息子さんですか?」とジョージは訊ねる。
 母の顔が曇り、無言でうなずく。
「会いたいなあ。」ためらいつつも、ジョージはそう言う。「お名前は、ハリーでしたよね?」
 母は顔をそむけ、そして、なぜかむせぶような音が聞こえてくる。父がぎこちなく母の肩に手を回す。父の声はいつも柔らかで落ち着いているのに、突如としてきびしいものに変わる。「会えるもんか。」と言う。「ずいぶん前に死んじまった。この写真を撮った日に溺れてな。」
 ジョージの脳裏に昔のことがふと蘇る。ふたりでポッター写真館を訪れた八月の午後。家に帰る途中で一泳ぎすることにして、そうだ、ハリーはこむら返りを起こしたんだ。そのときは俺が水から引っ張り上げたから、何ごともないものと思っていた。だが、もしそこに俺がいなかったのだとすれば!
「申し訳ありません。」ジョージはしまったと思った。「そろそろお暇します。ブラシがお気に召せばいいのですが。おふたりともどうか、本当に、楽しいクリスマスを。」と、そこで、またうっかり言葉を誤ったことに気づく。死んだ息子のことを考えているときに、楽しいクリスマスを願うだなんて。
 ブラウニーが鎖を引きちぎろうとしている横を、ジョージは駆け下りていく。がむしゃらに走る横を、敵意むき出しのうなり声が過ぎ去る。
 今、どうしようもなくメアリに会いたい。俺のことが彼女はわからないという事実に、耐えられる自信はない。それでも、会わなきゃいけないんだ。
 光が教会の中に外にあふれていて、聖歌隊がクリスマスの礼拝の準備を今この瞬間に終える。ここのオルガンは、いつも夕方になると『きよしこの夜』を練習していて、ジョージはほとほとうんざりしたものだった。けれども、今はその音楽が彼の心をかきむしる。
 ただひたすら自宅へ続く小道を、ジョージはふらふらになりつつも駆けていく。庭の芝生は伸び放題で、いつも入念に手入れしていた花の生け垣も、放置されひどく荒れている。アート・ジェンキンスは、そんな手入れなんかに期待できる男じゃなかった。
 ジョージは戸を叩いてみたが、なかなか反応がなく、やがて子どもの叫び声が聞こえる。それからメアリがドアのところへやってくる。
 彼女を一目見た瞬間に、ジョージの声は自分自身を裏切ってしまう。「メリークリスマス、奥さん。」そう言うのが精一杯だった。鞄を開けようとする手が震える。
 ジョージは居間に通されたが、気分は晴れない。いつも口げんかをしていた値の張る水色のソファを目にして、ただ自分にしかわからない笑みを浮かべるばかりだ。きっと、メアリは同じことをアート・ジェンキンスとやっているに違いない。そしてその喧嘩は、俺のときと同じで、決まってメアリが勝つのだ。
 ジョージは鞄を開ける。鮮やかな青の取っ手に、虹色の毛のブラシがある。どう見ても試供のためのブラシだとは思えない。けれども、知ったことか。こいつをメアリにやるんだ。「こいつなら、このソファにもきっと合います。」そう言った。
「まあ、素敵なブラシ。」メアリは声をあげる。「本当にタダでよろしいの?」
 ジョージはいかにもとうなずく。「新発売の記念にどうぞ。会社が儲けすぎないようにするための術ですよ――我が社の友と分かち合いたいのです。」
 メアリはブラシでソファを優しくなでると、表面がなめらかになる。「このブラシ、すごいわ。ありがとう、わたし――」そのとき、台所から突然叫び声が聞こえ、ふたりの子どもが部屋に駆け込んでくる。小さくて素朴な顔の女の子が母親の腕の中に飛び込み、大声で泣きじゃくる。そこへ七歳ほどの少年が追いかけてきて、おもちゃのピストルを女の子の頭に向かって撃つ。「ママ、こいつ死なないんだ。」と男の子がわめく。「百回撃ったのに死なないんだ。」
 男の子はアート・ジェンキンスによく似ている、とジョージは感じた。やることもそっくりだ。
 ふとその子がジョージの方に顔を向ける。「誰だよ。」とけんか腰に言う。ジョージにピストルの狙いをつけて、引き金を引く。「死んだ!」と男の子が叫ぶ。「お前は死んだんだ。倒れて死ねよっ!」
 そのとき、玄関の方から重い足音が聞こえる。男の子は縮み上がって、後ずさりする。ジョージがメアリの方を見ると、ドアの方を気遣わしげにうかがっていた。
 アート・ジェンキンスが入ってきた。アートはしばらく戸口のところで立ち止まり、ドアの取っ手に体重を預ける。目はうつろで、顔は真っ赤だ。「誰だお前?」と、だみ声で問いつめる。
「ブラシの訪問販売よ。」メアリは説明しようとする。「このブラシをいただいたの。」
「訪問販売だと!」とアートは鼻で笑う。「ふん、出ていってもらえ。ブラシなんか要らん。」アートはひどいしゃっくりをして、ふらふらと部屋を横切り、ソファにいきなり座り込んだ。「ブラシの訪問販売なんか二度と来なくていい。」
 どうしようもなくなって、ジョージはメアリの方を見る。お願い出ていって、とその目が物語る。アートは足をソファの上に投げ出して、ふんぞりかえりながら、訪問販売についてぶつぶつと文句を言い始めた。ジョージがドアのところまで行くと、アートの息子がくっついてきて、ピストルをジョージに向かって何発も撃ちながら言う。「死んだ――死んだ――死んだ!」
 その子が正しいのかもしれない。ジョージは外へ出たとき、そう思った。たぶん俺は死んでいる、いや、これはもしかすると悪い夢なのかも知れない。なら、いつか醒めるのだろう。橋へ戻ってあの小男を捜そう。話して、この一件をみんななかったことにしてもらおう。
 ジョージは丘を駆け下りて、川へ近づくと全速力で走り出した。橋のところに小男の姿を認めて、ほっとした。「もう十分だ。」と息も切れ切れに言う。「この世界から出してくれ――あんたが俺をどうにかしたんだろ。」
 小男は眉をくいと上げる。「そうしたとも! 結構じゃないですか! 願いが叶えられたんですよ。望んだとおりになったんですよ。今やあなたは、この世でいちばん自由な人間です。何のしがらみもありません。どこにでも行けます――何でもできます。何か他にどうしてもしたいことがあるんですか?」
「元の俺に戻してくれ。」とジョージは頼んだ。「戻してくれ――お願いだ。俺のためだけじゃなく、みんなのためにも。今、この町がどんなにめちゃくちゃになってるか、わかってるのか。わかってないだろ。元に戻さなくちゃいけないんだ。俺がここにいなきゃいけないんだ。」
「よおくわかりました。」小男はゆっくりとしゃべる。「本当にあんなことがしたいのか確かめたかったんです。あなたの授かったもののうちでも、いちばんの贈り物――それは命という贈り物です。この世界の一部であり、その中でひとつの役割を果たしているということ。でも、あのとき、あなたはその贈り物を否定したんです。」
 小男の言葉と同時に、丘の上にある教会で鐘が鳴る。町中の人間をクリスマスの礼拝に呼ぶ音だ。そして、下手の教会でも鐘の音が鳴り始める。
「元に戻らなくちゃいけない。」ジョージはなりふり構わず言う。「こんなふうに俺を消していいのか。こんなの、殺人じゃないか!」
「自殺の方が良かったとでも言いたいんですか?」と、小男が言葉を漏らす。「あなたが自分で招いたんですよ。でも、今日はクリスマス・イヴですから――そうですね、とりあえず、目を閉じて、鐘の音に耳を傾けてください。」声が次第に低くなる。「そのまま、鐘の音に耳を澄ませて……」
 ジョージは言われたとおりにした。すると、頬に冷たい雪が降れ、解ける感触がする――ひとつ、ふたつ、もうひとつ。再び目を開けたとき、雪が強く強く吹き荒れ、あたりがほとんど見えなくなっていた。小男の姿もなければ、その他の何の姿も見えない。雪があまりに強く降るため、ジョージは橋の欄干をつかむほかなかった。
 ジョージが人家の方へ向い始めたとき、誰かが「メリークリスマス」という声が聞こえたように思えた。けれども鐘の音がすべての音をかき消したので、本当に声が聞こえたのか、気のせいなのか、わからない。
 ハンク・ビドルの家にさしかかったとき、ジョージは立ち止まって、車道の方へ歩き出す。そして、不安げにカエデの大木の根本をのぞき込んだ。あの傷がある、ああ良かった! いとおしげに木に触れる。この木に何かしてやらなかいけなかったんだ――木の医者か誰か連れてこよう。とにかく、俺は元通りになれたみたいだ。また俺は俺になれた。みんな夢だったのかもしれない。ぐるぐる流れる黒い水で、自己暗示がかかったのかもしれない。そんな話を聞いたことがある。
 本通りと橋へ向かう通りの角で、ジョージは走ってきた人にぶつかりそうになった。不動産屋のジム・シルヴァだ。「やあ、ジョージ。」朗らかな声だ。「今夜は遅いじゃないか。クリスマスイヴだから早く帰るもんだと思ってたんだがな。」
 ジョージは大きく息を吸う。「ちょうど銀行に何ごともないか見に行くところだ。金庫室の灯りをつけたままにしたか確かめなくちゃ。」
「点いてたよ。行きがかりに見たよ。」
「見に行こうぜ、いいだろ?」とジョージはシルヴァの服の袖をつかむ。誰かに立ち会ってほしいのだ。目を丸くする不動産屋を引っ張りながら銀行の前へやってくると、吹き荒れる雪の中でちらちらする灯りが見える。「だから点いてるって言っただろ。」シルヴァがちょっといらいらしている。
「確かめなきゃいけなかったんだ。」とジョージは口ごもる。「ありがとう――じゃあ、メリークリスマス!」そしてあっという間にその場を離れ、丘を登っていく。
 ジョージは家路を急ぐ。けれども急いでいるとはいえ、両親の家をそのまま通り過ぎることはできない。ブラウニーを抱き寄せ、昔から仲のいいこのブルドッグが一頻り喜ぶのを待つ。そしてジョージは驚く弟の手を取って、ぶんぶんと握手し、ものすごい勢いでメリークリスマスと叫ぶ。そのあと客間を横切って写真を確かめる。母にキスをして、父には冗談を言い、その数秒後には家を出て、まだ降って時間の経ってない雪に足を取られながらも、丘を登っていく。
 教会は光にあふれ、聖歌隊もオルガンもそれぞれ持てる力を出し切っている。ジョージは自宅のドアへ突っ込み、開けるなりあらんばかりの声で呼ぶ。「メアリ! どこにいるんだ? メアリ! みんな!」
 すると妻が礼拝用の服装でやってきて、しぃと指を口に当てる。「今、子どもたちを寝かしつけたところなの。」と文句を言う。「だから今――」けれどもこれ以上、彼女の口から言葉は出せなかった。というのも、ジョージがキスで口をふさいだからだ。そして妻を引っ張って子どもの部屋へ上がっていき、親としてはやっていけないのだが、息子と娘を抱き寄せ、眠っていた子どもたちをすっかり起こしてしまった。
 メアリがジョージを階下に引きずり下ろすと、ようやくジョージは言い訳をし始める。「みんないなくなったんじゃないかって。そうなんだ、メアリ。いなくなったんじゃないかって思ったんだ!」
「何言ってるの、あなた。」と妻はやれやれといった風情だ。
 ジョージは妻をソファに押し倒し、もう一度キスをした。そして、自分の見てきた不思議な夢の話をしようとしたとき、彼の指が、ソファの上に転がっていた何かに引っかかる。思わず息を呑む。
 つかんでみる必要もなかった。それが何か、彼にはわかる。そう、わかっている。きっと青い取っ手に虹色の毛の、あれだ。





翻訳の底本:Philip Van Doren Stern (1943) "The Greatest Gift"
   上記の翻訳底本は、日本国内での翻訳権が失効しています。
翻訳者:大久保ゆう
2008年4月28日翻訳
2010年11月2日微修正




●表記について